届ける光(社会的な弱者を誰ひとり取り残さず)

昨年から猛威を振るっている新型コロナウイルスは、収まることを知らず感染が拡大し続けています。
コロナ禍は私たちの生活や暮らしを一変させ、飲食店を始め、宿泊・運輸・観光・製造・教育・医療・福祉・芸術など全ての分野に甚大な影を落としています。
私たちは未曾有のコロナ禍を経験するなかで、今まで気づかなかったことに気づき、見えなかったことが見えてきた世界がいくつもあります。
その一つはコロナ禍で休校となった子どもの食であり、小学生が病弱の親を看て中学生が弟や妹の面倒を見ているヤングケアラーの存在であり、不登校・引きこもりといった深刻な課題、親の雇止めにより困窮の生活から抜け出すことが叶わない家族の実態などです。
いわゆる経済的格差の拡大や社会構造の変化がもたらす光のあたらない社会の顕在化です。
「学校給食で栄養を摂っていたが、休校となって食べるものがなくなった子ども」、
「親が精神を病んでいて、学校にも行けず親の介護をしている子ども」、
「貧困による生活苦から起きるDV(家庭内暴力)」、
「祖母の死とともに引きこもった子ども」など、
深刻な事実がドラマの世界や都会の話ではなく、地方に暮らす私たちの周りにも確実に増えています。
もちろん行政は手を拱いている訳でなく、こうした実態を正確に把握し、教育委員会や社会福祉協議会、NPO法人、要保護児童対策地域協議会などとも連携しながら、年代別・症状や事情に応じたあらゆる支援をしています。
しかし食の問題もヤングケアラーも不登校・DV・引きこもりも窮迫に至る事情は千差万別です。
原因はすべて異なり、従って処方も支援の形もそれぞれ違ってきます。
表層に見え隠れする格差の原因も、その背景はやむにやまれぬ事情があってのことで、子どもたちにその解決策を求めることもできません。
でも、子どもたちの一生がこのままであっていいはずがありません。
行政とはこうした子どもたち、社会的な弱者を誰ひとり取り残さず、すべからくひと筋の光を届ける責任を持ち続けることだとコロナ禍を通じて改めて思うのです。