ますます重要になった権兵衛峠道路

崩落状況(令和元年10月20日)

2020年10月21日

 中央アルプスにトンネルが開き、伊那谷と木曽谷が結ばれたのが平成18年(2006年)2月の事でした。当時、木曽の学生は高等学校を卒業しても、また大学を卒業しても地元にはなかなか就職ができませんでした。就職先が少ないことが大きな理由でした。しかし権兵衛トンネルが開通したことで、モノづくりの盛んな上伊那の企業、病院、学校などへ通うことができるようになりました。家族と暮らし、地域の行事も消防団活動もでき、トンネル効果は絶大なものとなったのです。救急車も伊那中央病院に来るようになり、買い物もトンネルをくぐれば30分ほどです。そして伊那からの物資の供給が可能となり、木曽路にはコンビニエンスストアが幾つもできました。

 令和元年(2019年)10月、突然権兵衛トンネルの伊那側出口の橋が落ちました。台風19号が原因です。交通が全くストップしてしまい、途方に暮れてしまったのです。急遽、木曽や上伊那の首長(市町村長)とともに、「早急の復旧をするためにも国の直轄事業として進めてほしい」と長野県へ要望に行きました。落橋(らっきょう)の数日後には、国土交通省中部地方整備局の局長・道路部長が現地視察に訪れ、また地元国会議員や県会議員も視察に来ました。10月末には国の直轄権限代行による災害復旧が決定し、冬場の寒いなか24時間体制で工事に当たってもらい、2カ月後には片側交互通行ができるようになりました。

ところが令和2年7月、今度はその先の姥神(うばがみ)トンネルを出たところで大規模な山地崩壊が発生してしまいました。長野県では発生場所の対岸に仮設道路を架ける工事を計画しています。その間に姥神トンネル先の、現在ループ状となっているところから国道19号まで、トンネルと橋で一気通貫(いっきつうかん)できるよう要望活動を始めました。9月には長野県建設部長、国土交通省道路局長、財務省主計官、そして地元選出の国会議員への熱い要望活動が始まったのです。要望活動は波状的に次々と行います。繋がりの深い木曽と伊那は、権兵衛峠道路が生命線ですから私たちはともかく必死です。

http://www.inacity.jp/shichoshitsu/shichocolumn/index.html

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